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札幌高等裁判所 昭和50年(ラ)16号 決定

抗告人

甲野太郎

(仮名)

右代理人

武田庄吉

(仮名)

相手方

甲野花子

(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は、抗告人の負担とする。

理由

第一本件抗告の趣旨及び理由

別紙記載のとおりである。

第二当裁判所の判断

一夫婦は、同居し互いに協力し、扶助しなければならない義務を負担し(民法七五二条)、右扶助義務の履行として相手方の生活に要する費用を婚姻から生ずる費用として各自の資産や収入の程度に応じて分担し、支払うべきである(民法七六〇条)が、右扶助義務の程度は、特段の事情のないかぎり相手方に対し、自己と同一程度の生活を保持させることを要するものであると解するを相当とする。そうだとすれば、たとえ、夫婦が別居していても、相互に信頼関係の回復が期待でき、婚姻生活共同体の回復の可能性が存在するかぎり、夫婦は互いに相手方に対し右と同程度の扶助義務ないし婚姻費用分担義務を負担するものであるといわなければならない。しかして、夫婦が別居して、婚姻生活共同体の回復の可能性が存在しない程に婚姻関係が破綻している場合においても、右破綻に至らしめた主たる原因が夫婦の一方に存在するときは、その者は、自己の責に帰すべき婚姻関係の破綻を理由として相手方に対しその生活程度の切り下げを強いることは妥当でないと考えられる。そうだとすれば、この場合、婚姻関係の破綻につき専ら、若しくは主として責を負うべき者は、相手方に対し依然として前記程度の扶助義務、ないし婚姻費用分担義務を免れないものといわなければならない。ところで、夫婦間の前記扶助義務は、夫婦が互いにその生活全般にわたつて協力義務をつくすことを前提とし、いわば右協力義務と右扶助義務とは不即不離の相関関係にあるものと考えられるところ、婚姻関係の破綻につき専ら、若しくは主として責を負うべき者は、相手方に対し右協力義務をつくしていないものというべきであるから、その者が、右協力義務をつくさずして、相手方に対し、相手方と同一程度の生活を保持できることを内容とする扶助義務、ないし婚姻費用分担の履行を求めることは権利の濫用として許されないものといわなければならない。しかしながら、たえ前記のとおり婚姻関係が破綻していても、夫婦は、正式に離婚が成立しないかぎり、あくまでも夫婦としての地位を有するものであつて、その間を夫婦でない他人間の関係と同様に律つするわけにはいかないのであるから、夫婦であるかぎりその一方が生活に困窮している場合に他方は、いかなる理由があるにせよこれを放置すべきでないというべきである。そうだとすれば、右破綻につき責を有しない者も、夫婦であるかぎり、右破綻につき責を負う者に対し、少くともその者の最低生活を維持させる程度の扶助義務を負うものと解するを相当とする。してみれば、婚姻関係の破綻につき専ら、若しくは主として責を負う者に対する他方の扶助義務ないし婚姻費用分担の程度は、軽減せられ、右破綻につき専ら、若しくは主として責を負う者の最低生活を維持させるに必要な程度をもつて足りるものといわなければならない。

二(一)  そこで、叙上の見地に立脚して本件をみるに、本件記録中の札幌家庭裁判所小樽支部調査官の調査報告書、原審における抗告人及び同相手方の各審問の結果(ただし、右抗告人審問の結果中後記措信しない部分を除く)を総合すれば、次の1ないし7の各事実が認められる。

1 抗告人と相手方は、昭和三七年一〇月一四日に結婚式を挙げて、じ来同棲し、同年一一月一四日に正式に婚姻届をした。抗告人は、右結婚当時札幌トヨペツト株式会社小樽営業所に勤務していたが、昭和三九年九月頃同社の札幌本社に転勤になり、その後同四〇年七月頃同社を退職して抗告人の父が経営する倉島乳業株式会社に勤務することになつた。そこで、その頃から抗告人と相手方は北海道岩内郡岩内町所在の借家(アパート)に居住することになつた。

2 ところが、抗告人は、右のとおり昭和三九年九月頃札幌トヨペツト株式会社の札幌本社へ転勤した際、その送別会の席上、同僚から、相手方が昭和三四年頃男性と二人だけで三泊四日の旅行をしたことがあつた旨伝え聞いたため、秘かに不愉快な気持を抱いていた。そして、その後、相手方は、昭和四五年一〇月頃から同四六年一月下旬頃までの間、胃潰瘍の治療のため前記岩内町所在の前島病院に入院したが、その間病院にテレビを持ち込んでいたため、他の病室の男女の患者が右テレビを観覧するため相手方の病室に出入していた。しかし、その間、相手方は、特定の男性と、交際したり、外出したりしたことはなかつた。ところが、抗告人は、相手方を右病院に見舞つた際、他の病室の男性の患者が右のとおり相手方の病室に出入りしていることを見分して、相手方がこれらの者と秘かに親しく交際しているものと邪推した。相手方が右病院を退院後ほどなくしてたまたま抗告人のいる時に前記借家に見知らぬ男性から間違い電話がかかつて来たことがあつたところ、抗告人は、これにより相手方に対する右異性関係の疑いを一層深めた。一方、相手方も、昭和四三年頃から、近隣の者等から、抗告人が特定の女性と交際している旨伝え聞いたため、抗告人に対し異性関係があるものと秘かに疑つていた。このように、抗告人と相手方は、互いに異性関係につき疑いを持つようになつたため、漸次夫婦仲が冷却し、夫婦間の会話も乏しくなり、抗告人は相手方をほとんど相手にしなくなつた。

3 抗告人の友人某の妻三人はたまに飲食等をして楽しむグループを作つていたが、相手方は昭和四八年頃誘われて右グループに入り、抗告人もこれを承認して相手方に対し右飲食等に要する資金を手渡していたところ、相手方は、右グループに誘われて、昭和四八年八月頃と同年一〇月頃の二回、右グループの者らと共に札幌市内のホストクラブに遊びに行つたことがあつた。しかし、その際、相手方は特定の男性と親しく交際しなかつたし、抗告人も相手方が右ホストクラブへ行つたことを知つて仕方がないと考え黙認していた。

4 抗告人は、昭和四八年一二月頃前記岩内町に住宅を新築したので、その頃抗告人と相手方は同所に引越した。ところが、抗告人と相手方間には子供も生れず、前記のとおり夫婦関係が漸次円満を欠くようになつていたので、昭和四九年四月二五日抗告人は、相手方に対し、子供もいないし、性格が合わないこと等を理由に離婚するよう要求した。これに対し、相手方は、右離婚を承諾せず、互いに反省し、努力し合つて、再び円満な夫婦関係を築くよう求めた。しかし、抗告人は、相手方の右求めを聞き入れず、その後毎日朝帰りするようになつたばかりか、朝食事時に相手方に対しくり返し離婚するよう求めたため、相手方は、ろくに食事もとれず、不眠症に落ち入り、ノイローゼ気味になつた。そこで、相手方は、このまゝでは体がもたないので、一時小樽市所在の実家に行つて休養して来ようと考え、昭和四九年五月三日右実家に行つた。その際相手方は、抗告人に対し離婚を承諾する旨の返事はしなかつた。そして、その後相手方はその叔父を介して抗告人と折衝したが、話合いはつかなかつた。そこで、相手方は、同年五月九日頃抗告人の許に帰つたところ、抗告人は、「何しに戻つて来た。小樽へ帰れ。」と強く言い張り、これを拒む相手方に対しその頭部を殴打したり足を蹴つたり等の暴力を振つたので、相手方は止むを得ず同年同月一六日前記実家に逃げて行つた。

5 その後相手方は同年七月頃自分の着替えの衣類を取るため、相手方の母と叔父夫婦とともに抗告人の許へやつて来たところ、家の中に相手方の知らない女性の荷物が運び込まれており、そのうちに抗告人が件外渡辺政子を同伴して帰宅した。そこで、相手方は、抗告人に対し、自分は離婚する気持はないので、右渡辺を家から出すよう要求したところ、抗告人は「今更何を言う。」などと言つてくつてかかり、相手方の頭部を殴打する等の暴力を振つた。その後その場で、抗告人と相手方は、抗告人の母等を立合人として話し合つたが、抗告人は二〇〇万円を支払うことを条件に離婚を求め、相手方はこれを承諾しなかつたため話合いはつかなかつた。そこで、相手方は止むを得ず、母に誘れて再び前記実家に行つた。

6 抗告人は、昭和四八年四月頃前記岩内町内のスナックの店に勤務していた前記渡辺政子と親しくなつて同女と肉体関係を持ち、同年七月頃から抗告人方において同女と同棲し、じ来これを続けているものである。

7 そこで、相手方は、昭和四九年七月一五日札幌家庭裁判所岩内支部に対し抗告人を相手方として夫婦関係調整の調停を申立てたが、同年同月三〇日右調停は不調に終つた。ところが、当日抗告人は、相手方の実家の者に対し電話で、「早く相手方が荷物を取りに来なければごみ屋にくれるか、焼いてしまうぞ。」と言つてきたので、相手方は、抗告人が実際右の行動に出るかもしれないと憂慮し、止むを得ず、同年八月一一日抗告人方から相手方の荷物を車で運び出した。相手方は、いつまでも前記実家に生活の援助をしてもらうわけにもいかなかつたので、同日小樽市稲穂四丁目一〇番八号所在の田村アパートで部屋を借り、同所に右荷物を運び入れて、じ来、同所において単身で暮しているものである。

(二)  抗告人は、別紙抗告の理由において、「相手方は、前記(一)の2に記載の前島病院に入院中、件外工藤実(昭和二一年一〇月二二日生)と懇意となつて、同人と二人で夜間外出したり、退院後も同人が相手方に対し度々誘いの電話や手紙をよこした。前記(一)の3に記載の相手方のホストクラブでの遊興は、一晩中遊んで朝方自宅に帰つたもので、その回数も三回あつた。抗告人が相手方に対し、右のような奔放な異性関係の行動につき、その都度注意したところ、これが原因で抗告人と相手方との夫婦仲が冷却した。前記(一)の7に記載の昭和四九年八月一一日相手方が荷物を引取つた際、抗告人が相手方に対し離婚用紙を渡したところ、相手方は後日これに署名押印して抗告人宛送ると約束したので、抗告人は相手方も離婚を承諾したものと思つて、その後前記渡辺政子と肉体関係を持つようになつた」旨主張するところ、抗告人は、原審における抗告人の審問において、「相手方は、前記(一)の2に記載の前島病院に入院中、氏名不詳の若い男性と親しく交際して、同人と度々出歩き、右病院退院後も、右男性から度々誘いの電話を受けて、二人で出歩き、右男性と肉体関係があつた。前記(一)の7に記載の昭和四九年八月一一日相手方が荷物を引取つた際、抗告人が相手方に対し離婚用紙を渡したところ、相手方は後日これに署名押印して抗告人宛送ると約束したので、抗告人はその後前記渡辺政子と肉体関係を持つようになつた。」旨供述しているが、右供述部分は、他にこれを裏付ける証拠はなく、前記相手方審問の結果、及び前記(一)の1ないし7に認定の事の経過に照らし、にわかに措信できない。他に抗告人の前記抗告理由の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  前記(一)の1ないし7において認定の事実によれば、抗告人と相手方は、別居しておつて、その婚姻生活共同体の回復の可能性が存在しない程に婚姻関係が破綻しているものと認められるのであるが、右破綻に至つた原因は、抗告人が相手方に異性関係がないにもかかわらず、これがあるものと疑い、その上相手方に子供が生れないこと等を理由に離婚することを希望して、この希望を実現すべく、離婚を承諾しない相手方に対し暴力を振つたりして、相手方が抗告人方に居づらくしたばかりか、前記渡辺政子と不貞行為に及び同女を自宅に引き入れて同女と同棲するようになつたためであるから、右破綻の責は、専ら抗告人にあり、相手方にはないものといわなければならない。そうだとすれば、抗告人は、相手方に対し、抗告人と同一程度の生活を保持させるに要する費用を、婚姻費用として、抗告人の収入や資産に応じて分担し、支払う義務があるものといわなければならない。

三しかして、抗告人が相手方に対し支払うべき婚姻費用分担金額を算定するに、当裁判所も右金額は原審判の主文に判示のとおり認容するのが相当であると判断するものであり、右算定の根拠理由は、原審判の理由中、原審判書三枚目末行及び同四枚目裏一行目から同六枚目表二行目まで(原審判書の別表を含む)の記載と同一(ただし、原審判書四枚目裏五行目の「の比率としては、」の次に「当裁判所に顕著な」を付加する)であるから、これを引用する。

四そうだとすれば、抗告人の別紙抗告理由に記載の主張は採用できず、本件記録を精査しても他に原審判を取り消さなければならぬ違法な点は発見できない。

五よつて、原審判は相当であり、本件抗告は理由がないから、家事審判法七条、非訟事件手続法二五条、民事訴訟法四一四条、三八四条一項により本件抗告を棄却することとし、抗告費用の負担につき家事審判法七条、非訟事件手続法二五条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(宮崎富哉 長西英三 山崎末記)

抗告の趣旨

原審判を取消し、本件を札幌家庭裁判所小樽支部に差戻すとの裁判を求める。

抗告の理由

一 原審判は抗告人と相手方が「互いに相手方の異性関係に疑いを抱くようになつた」ことが夫婦仲冷却の原因と認定しているが、右の認定は誤つている。

抗告人が相手方の異性関係に疑を抱くようになつたのは相手方が昭和四四年一二月から同四五年二月まで岩内の前島病院に入院中、同じ入院患者であつた磯谷郡磯谷の工藤実(昭和二一年一〇月二二日生)と懇意になり、同病院中で二人の噂が評判になつたことからである。現に抗告人が見舞のため相手方の病室を訪ねた時工藤がきておることが度々あつたし、相手方が退院後も昭和四八年頃まで相手方に対し工藤から度々誘いの電話がきたり、抗告人の自宅に工藤が相手方を迎えにきたこともあり、また工藤からの手紙も度々きていた。

入院中相手方は工藤と二人で夜外出したことも目撃されているし、退院後も工藤に誘われて二人で外出したこともあつた。そのため狭い岩内のことであるからこのことが一般の評判になり、抗告人は知人から注意をうけたこともあつた。ことに退院後四六年から四七年にかけて相手方は岩内からわざわざ札幌に遊びに行き、ススキノのホストクラブで一晩中遊んで朝方ハイヤーで自宅に帰つてきたことが抗告人の知つている限りでも三回あつた位であり、相手方の一方的な異性関係が甚だしかつたのである。抗告人は当時会社の仕事に専念していたので相手方から指摘されるような異性関係は全くなかつた。

相手方のこのような奔放な行動に対し抗告人はその都度相手方に注意をしたことから相手方との間が冷却していつたものである。

二 抗告人と相手方との間に離婚の話しが出たのは四九年四月末頃からであり、相手方は考慮のため五月二日頃より四、五日小樽の実家に帰つた。五月五日頃抗告人は小樽えいき相手方の叔父溝江宅で相手方と話合つた五月七日相手方は一旦抗告人方に帰つてきたが、五月一一日再び離婚の相談のため実家に帰つた。

抗告人は同年五月一一日から六月三〇日までの間三回小樽の相手方の実家を訪づれ相手方や親と話合つた結果、相手方の母親が抗告人に対し離婚を円満にすすめたいので条件を示せといわれたので抗告人は二〇〇万円出すことを承諾した。

同年七月七日抗告人方に相手方、相手方の母、叔母の溝江、相手方の姉和子、叔父等五人がきて話合つた結果、お互いに調停の結論に従うということで話がまとまつた。しかし同月三〇日調停は不調になつたものである。

三 以上の通り、そもそも夫婦間が冷却した原因は昭和四四年以降からの相手方の不貞行為が原因であり、相手方主張の如く、申立人の不貞が原因ではない。

原審判も「別居について責のあるのが専ら申立人であつて相手方に責がない場合、この場合は相手方の婚姻費用支払義務は否定ないし、少くとも最低限度にまで縮少されよう」と認めているが、本件はその原因をつくつたのが相手方であり、相手方の責任は抗告人よりも重大といわねばならない事案である。原審判は「別居自体については相手方にその主たる原因があることが明白である」と認定しているがこれまた誤りである。抗告人が渡辺政子と交際するようになつたいきさつは前記の如く調停が不調になつた後の同年八月一一日頃相手方は抗告人方え荷物をとりにきたが、その時抗告人が離婚しようといい離婚届用紙を渡したところ印を持参しなかつたので帰つたらすぐ印をおして送るといつて荷物と離婚用紙を持つて帰つたので、相手方も離婚を承諾したものと思い、それから政子と交際を初めたものである。

以上の通り異性関係で問題を起こしたのは相手方であり、抗告人は相手方との離婚が殆ど確定した後に渡辺政子と交際するに至つたに過ぎないので、このような場合婚姻費用の分担について支払義務がないものと考える。仮りに支払義務があるとしても上記事情は十分考慮されてその額を算定すべきである。

原審判はこれ等の相手方の事情を全く考慮せず一方的に抗告人が悪いと認定したのは到底納得できない。

四 よつて抗告の趣旨のとおりの裁判を求める。

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